が覚めると僕は瓶の中にいた。

 

瓶である。

 

寝た場所は確かにいつもの布団だったのに、どうして僕はこんな場所にいるのか。起きて暫く、僕は呆気に取られていた。その後、薄暗い中目を凝らして見ると、どうやら4畳ほどの広さの場所にいるようだということがわかった。つるりとした壁面を呆然と見つめていると、何かが彫られていることに気づいた。とても巨大な何かが。

 

僕は緩やかに上を辿った。ゆっくりと視線を上げ続ける。壁面にあったものは何か————花のようなものだった。花弁が5枚。先端のとがった——ひまわりか?そして僕は壁伝いに見上げ続け。ついには天を仰いだ。そこにはぽっかりと、丸い穴が、頭上遥か彼方に開いていた。

 

そしてもう一度壁に視線を戻し、僕はここが僕の部屋にあった瓶の中だと気付いたのだった。僕が彼女と一緒に熊本に旅行に行った時に土産物屋で買った、不格好な焼き物の花瓶だった。彼女が欲しいと駄々をこね、「買わされた」ものだった。あの時は楽しかったな。黙々と思い出に浸る中、ふと気づく。縮尺の問題だ。僕は明らかに小さくなっていた。当たり前だ。成人男性がたかが大きめの一升瓶程度の瓶の中にすっぽりと収まるわけがないだろう。僕は立ち上がろうとし、体に違和感を覚えた。動けない。

 

麻痺しているのか、手足が動かなかった。冗談じゃない。今の三角坐りのままどうやってここから出るというんだ。身じろぎをし、何とかわずかに前に歩いた(正確には這った)が、1mも進まぬうちに疲れてやめてしまった。ただならない状況に違いないが、僕は心なしか少し浮足立っていた。こんな不可思議な状態を、楽しまない手はないだろう。これは夢か何かで、ここから覚めたらきっとこの体験で一話書いてやろうとニヤニヤする。現実主義の僕にとって、この摩訶不思議な事態は夢か幻覚としか思えなかった。怪談にしようか、冒険ものでもいいな。なんにせよ面白いものになるだろう。かくいう僕はもう7年もヒット作を出せないままなのだから。数年前に浴びた喝采を、再度得たいと僕は考えながら、ふと瓶の外に物音を感じた。何かを漁る様な物音だ。陶器に伝わる振動から、近くで音が発生していることを知る。

 

暫時、人の息遣いが唐突に聞こえてきた。「はあ」ため息の様だった。

 

「どうしよう、これ」

 

僕はその聞きなれた声に、思わず声を上げそうになった。そしてそこで初めて、声が出ないことに気づいた。喉が張り付いたかのような感覚に、少しの焦りが出てきた。おかしい。おかしいと言うことさえできず、僕は踏めもしない地団太を心の中で踏んだ。熱い。室温が少し不快な温度になっているじゃないか、と無責任にも彼女に詰りたくなった。わずかに喉の渇きも感じたが、水なんてここにはなかった。そりゃそうだ、もとは花瓶だったのに不格好だからと使わずに部屋で置きものと化していたのだから。水どころか足元にはほこりがたまっていた。僕はますます不快な気持ちになる。なぜなら、そろそろ、これが夢ではないのではないかと感じ始めていたからだ。どうにもおかしな不愉快な状況だと捉えつつあった。

 

「ねえ、見つからない」

 

またしても聞こえてくる声。間違いない、彼女の声だった。何を探しているのか。僕は何一つ成す術なく、更には彼女が何とか気付いてくれないかな、なんて楽観的に考えていた。動けもしないのにこの瓶の中から出ることなんて無理だろう。自分で思いながら正論だなと感心してみるが、むしろ無力感が増すだけだった。暑さと渇きへの苦しみは意思に反して強くなっていく。身体が縮むことでストレスに弱くなったのかもしれない。

 

「蓮巳くーん…」

 

僕を呼びながら、彼女は部屋の中をうろついているようだった。近くまで物音が近づいてきた。彼女の栗色の瞳が、瓶に開いた口の向こうを隠した。彼女は僕のことを見つけて何と言うだろうか。小さくなった僕のことをかわいいと愛でてくれたりしないだろうか。期待に胸が詰まる。目が合った。彼女は目を細め、「いた!」と笑った。刹那、瓶が唐突に揺れた。乱暴に瓶を振っているのは彼女のようだった。半ば無理やり瓶から放り出された僕は、次の瞬間生温かい掌の上にいた。動けず、喋れない僕に、乱暴に放られた温かい掌の上という状態は喉の渇きに加えて身体の節々に痛みという項目を与えた。瞬時に痛みは激痛に代わる。僕は、僕は。

 

面白い話を書くどころか、僕は意識を手放しそうになるような痛みに喘ぐこととなっていた。そんな僕のことを気にする素振りもなく、彼女は鼻歌交じりに僕を乗せて部屋をずんずんと歩く。痛い。歩く衝動で体中が擦り切れるように痛み、僕は辛うじて芋虫のように転がって体の向きを変えた。僕の机の上、ガラス製の筆立てに僕は目が留まる。彼女の姿に加え、その差し出した手に受け皿のようにして鎮座していたのは、黒い瞳の、1つの眼球だった。

 

状況が呑み込めない僕を他所に、彼女の手がわずかに傾いて僕の身体はまた転がった。「おっと」落ちそうになった僕を指先二つで摘まんで持ちあげ、彼女は微笑んだ。床に引かれた布団には僕がいた。お世辞にもイケメンとは言えない顔をしている僕は、刺し傷によって更に醜い顔をしていた。口は割け、目が二つとも空洞になっていた。腹には彼女と暮らすことになって初めて行った雑貨屋で買ったなまくらとしか言いようのない包丁が墓石のように立っていた。

 

声も出ず、動くことも出来ず、何があったかもわからず意識が薄れてきた僕を、彼女がぶっきらぼうに床に置いた。彼女はお玉を片手に、コンロの上の鍋をにこやかにかき混ぜた。ああ、思い出した。さっき、僕は、寝ていたところを彼女の手で—————

 

どれくらい経っただろうか。ふと、僕の肌に羽音が伝わってきた。大きなショウジョウバエだった。どうやら腐臭に引かれて僕のもとに止まりに来たようだった。

 

 

 

そうだ、今は夏だった。